終戦記念日
この日を日本人は「終戦記念日」と呼んでいます。
しかし米・ソ等においては、1945年9月2日に日本の降伏調印式がなされ
「第二次世界大戦が終結した」と認識されているようです。
日本人にとっては、天皇から「もう戦争は終わった」と言われた日が、終戦であり、
『もう空襲に怯えることなく生活でき、戦地に行く事もなく、戦地に行った大切な人が帰ってくる。』
という認識だったのでは?それが今に至るのかと、私は思います。
私の祖父は二人とも戦死しています。会った事のないおじいちゃん。
母方は写真もなく、どんな顔をしていたのかも分からないし、母もまだ幼かったのでどんな父親だったのか、覚えていないようです。
祭日には『国旗日の丸』を玄関先に掲げ、お赤飯を炊く。というのが我が家の慣わしでした。
おそらく両親は「国のために亡くなった、自分の父を」その行為で弔っていたのではないか?と、このブログを書きながら思いました。(確認していないので定かではありませんが。)
祖父が戦死したのは、両親がまだ幼い頃です。
残された母親と幼い兄弟たち。
母の昔話は、当時の私にとっては「大変だな」というものでした。
今考えると「まだ小さい子が、本当に良くやっていたね。」と涙が出てくる内容です。
『いつもお腹が空いていた』『お母さんが仕事に行くから、いつも家事や妹の世話をしていた』
『井戸がなかったから、いつも裏の家の井戸から運んできたの。重いのを何度もね』
『お芋が混ざったご飯』『誰かの結婚式に行くと、お母さんが出されたものを残して、持ってきてくれた。それを皆で分けて食べたのよ』など。
父の昔話も『学校に帰りに、干してある芋を友達と食べたよ。ほんのり甘くて美味しかった』
貰ったのか、失敬したのか?分かりませんが、いつもお腹が空いていた様です。
ふたりの祖母は帰ってくると思っていた夫が亡くなり、女手ひとつで苦労して、子供たちを育てました。
日本中に同じような境遇の家庭が、数え切れないほどあったと思います。
映画「蛍の墓」はその悲惨な様子を現わしていますね。余りにも可哀そうで、
二度と見たくない映画のひとつです。観ると切なくなります。
私が住むタイには徴兵制度があります。
ただ、男子全員ではなく、くじ引きで決められるようです。
高校の三年間に『自衛隊の訓練(希望者のみ)』があり、その」訓練を終了した者は、免除されます。
訓練は週に一度、合宿もあります。息子が参加していましたが、辛い訓練です。
主人の時代もくじ引きがあったようですが、自主的に参加を希望するものは、通常二年間の所を三ヶ月間に短縮されたそうです。
その時の銃を持った写真があります。
自衛隊の訓練を受けた者は、万が一国が開戦した場合出兵する義務があるそうです。
訓練後二十年間だったかと思います。(年数は定かではありません)
2003年アメリカが『イラク戦争』を始めた時、
「もしタイが参加するとしたら、徴兵されるかも知れない」と主人がつぶやいた時には、さすがにドッキリしました。
もし主人や息子が、『生きて帰る事が出来るか分からない戦いに』行かなくてはならなくなったら・・・考えるだけでも恐ろしいです。
世界中の争いが一日も早く終結されることを願ってやみません。
まずは私自身が、思いやりの心を持って(他人を自分だと思って接する)生きたいと思います。
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