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2017年2月24日金曜日

『綺麗』の感覚は人それぞれ違う

タイで暮らして不思議に思ったことがあります。

(義父母に限るのかもしれませんが・・・)






私の父は昭和一桁生まれで後始末にはうるさいほうです。


片づけが好きで自分の目で見て『気持ちが良い状態』にしてしまうので、

家族にとっては不都合なこともありましたが・・・


たとえば、母が片付けた物置の中を父が好きな様に片付け直すことも度々有り、


出かける間際になって『あれ、どこにいっちゃったのかしら???」と母が必死になって探す・・・など。


そんな父の影響を受けて育った私は、同じように後始末にはうるさい方かもしれません。


きっと子供達は(夫も)「うるさいなー」と思っている事でしょう。




家族だけで暮らしていたときには気にならなかった事ですが、

夫の家族と暮らしてみて疑問に思ったことがたくさんあります。








 義父母の『綺麗』の概念に疑問を持ったこと     

注意:義父母は変な人ではありません。ごくごく普通の人たちですが・・・)



一つ目の疑問



ゴミを廊下に掃きだす



毎朝綺麗に掃除をした後で、廊下の隅にゴミがたくさん落ちている事がよくあり、


「おかしいな、このゴミどこから来たのかしら?」と不思議に思い、


そういえば・・・と思い巡らすと・・・・


以前バンコクで同じアパートに住んでいた友達が


「タイの人って自分の部屋を掃除をする時に廊下にゴミを全部掃きだすのよー」


と言っていたのを思い出しました。




その友達もドアを開けるとゴミが溜まっていて、どこから来たのか?

不思議に思っていたそうです。


ある日向かいの部屋の住人が廊下に掃きだしているのを目撃して、

納得したという事でした。



アパートの廊下は共有部分で、清掃員が毎日掃除をしてくれるので

ゴミを外に掃きだすようです。



同じように義父も自分の部屋のゴミを掃きだしていたのです。











ふたつ目の疑問



それ、綺麗なタオルで拭く必要あるの?


(靴、ヘルメット、バイクなど不用になったタオルや端切れなどで拭いたら良いのにと思えるもの)



ある時、一階のテーブル拭き様に、綺麗なハンドタオルをおろしました。


午後になると、そのタオルが真っ黒になっていました。なぜ?????


どう見ても靴か何かを拭いたようにしか見えません。



靴やヘルメット・バイクを拭くのになぜ、おろしたばかりの綺麗なタオルを使う必要があるのでしょうか????



理解に苦しみました。


 汚れを取ろうと思ったら目の前にあったから・・・

 理由はそんなところでしょう 





三つ目の疑問



なぜ?汚れた雑巾であちこち拭くの?




義母は『掃除魔』です。


でも、どこを拭くのも同じ雑巾を使い、使った雑巾は洗わず放置してあります。



洗い物が苦手?嫌い?のようです。


自分がいらないと思ったものは人のものでも捨てる



育った環境の違いなんですね。多分同じ日本人同士でもこういうことはあるのでしょう。




最初は驚きましたが、相手を変えることは難しいので、

多少の事は驚かず受けいれながら、対処することにしました。



綺麗なものは共有部分には置かないで、何を拭かれてもショックを

受けないような使い古しのタオル、でも適度に綺麗なものを置くようにしました。


義母が使ったまま放置した雑巾や皿などは随時片付ける。


捨てられそうなものは目に付かないところに置く。など


でも対処が遅れて、先日ゴミを捨てる際に使っていた古いベビーカーを捨てられてしまいました。


ないことに気が付き、ゴミ置き場まで見に行ったのですが・・・

既に誰かが持っていったようでした。

(金属製品なので量り売りできます)


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私にとって掃除をすることは一日の始まりであり、快適に暮らすためになくてはならないものです。



子供の頃は母が日曜・祭日とも仕事だったので、休日は父と姉と私の

三人で過ごしていました。


父は家事の全てが終わらないと朝ご飯を食べない人です。



休日の朝に洗濯物を干す父の姿は近所の人の評判になり、

母はよく「いいわねー」と言われていました。




そういえば・・・他の家のお父さんが洗濯や家事をしている姿を、

幼い頃から大人になるまで見かけたことはありませんでした。




今は外で働くお母さんが多い時代ですから、

お父さんが洗濯ものを干している姿は珍しくはないかもしれませんが、

昭和40年代では稀な光景だったのかと思います。






父が洗濯物を干していたら、姉と私はまず布団を干し、掃除機をかけ、拭き掃除をして・・


全てが終わったらご飯を食べるというのがお決まりでした。



夏休みや冬休みには姉と私が家事を分担し、平日は先に帰宅したほうが、


「そうじしてません」という母のメモを見て、そうじをしたり


洗い物や洗濯物を入れたりなどをしていました。

(そうじだけは目で見て分かりづらいのでメモが置かれていたのだと思います)



『家にいる人が家事をする』のが我が家の暗黙の了解でした。






ある時子供達にその話をすると「まるで自衛隊の訓練みたいねー」と

言われました。


家の中が綺麗になってからご飯を食べる、ということが訓練のようだと思ったようです。



お腹が空いているのに、まず家事をしてからでないと

しかも父が良しと判断して座るまでご飯はお預けだったので、


子供が言うことも一理あるかもしれません。



子供の頃の習慣は今も変わりません。


本当は面倒でやりたくないと思うときもありますが、汚いと落ち着かず、

それにストレス解消にもなるので、皆が気持ちよく過ごせるように楽しみながら掃除をしたいと思います。




考えてみたら、義父母に限らず子供達の『綺麗』に対する感覚とも違うな、

と思うこともありました。


これは掃除に関することではありませんが、


次女が「ねえ、この人綺麗でしょ?」と良く聞いてきますが・・・


正直に言うと余り綺麗でも可愛くもないな。と思える人が多いのです。



好みが違うのだと思い、私が綺麗だと思う日本の女優さんたちの写真を見せると


やはり、大きな反応はありませんでした。


「綺麗ね」と同意したのは・・・


吉永小百合さん、山口百恵さん、中森明菜さんでした。




















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